ディディエ・ドログバ
国の運命を変えたその選手は、フランスの1部リーグで頭角を現したディディエ・ドログバ選手(39)です。
当時は28歳、
イギリスのプレミアリーグの名門『チェルシー』のセンターフォワードとして大活躍していました。
世界が認めるエースストライカーであるドログバ選手は、
ドイツW杯予選で母国コートジボワールの代表として試合に臨み、
アウェイにも関わらずスーダンを「3対0」で破りま、W杯の本戦切符を初めて手にしました。
喜びに沸くコートジボワール代表でしたが、
キャプテンを務めるスリル・ドモロウ選手はマスコミ陣をロッカールームに招き、
マイクを奪ってドログバ選手に渡したのです。
ドログバ選手は、カメラに何を訴えるのでしょうか?
ひざまずく選手たち
「アイボリーコーストのみなさん。私たちはこの国の国民はどこの出身者でも共存でき、目的を1つにできることを証明しました。この勝利がみなさんを1つにすることを、私はひざまずいて約束します。」
こう語ってドログバ選手がひざまずくと、他の選手もひざまずきます。
「どうか赦し合ってください。豊かなアフリカがこのような戦争をしてはいけません。全ての武器を置いてください。公正な選挙をすればきっと良い国になります。」
ドログバ選手が真剣に訴え終わると、チームメイトと立ち上がりました。
そして、みんな笑顔で次のように歌ったのです。
「みんなで楽しみましょう。銃を撃つのはもうやめて下さい!」
このメッセージが放送された後、母国での選挙は1滴の血も流れることなく無事に実施されたとのこと。
そして、コートジボワール代表がドイツW杯本線に臨んだ2006年夏、
彼らの平和に向けた努力が実って内線は終わったのです。
内戦の悲劇
ドログバ選手が国外で活躍していた頃、
母国のコートジボワールでは2002年から北と南に分かれて激しい内戦が続いていました。
尊い命が何千と奪われ、何百万人もの人々が住む場所を追われました。
内戦は泥沼化し、選挙も暴力の中で死者が多数出ると予想されていたのです。
しかし、W杯での呼びかけや一丸となったチームの力により、無事に選挙は終わりました。
さらに2007年3月、ドログバ選手は2010年W杯予選のマダガスカル戦で、
激戦地だった母国の『ブアケ』に試合場所を変えるように要請し、国民に1つになろうと呼びかけたのです。
この日、コートジボワールで内戦をしていた北部と南部の両リーダーが、会場で母国の国家を歌いました。
その姿にドログバ選手は、「アイボリーコーストが生まれ落ちたのを見た」とコメントしています。
それから5年、2011年4月にコートジボワールは再統一され、現在は高度成長期を迎えています。
母国での悲劇に心を痛めていたドログバ選手、世界を通じて訴えた勇気ある行動が国を1つにしたのです。
今なお、内戦で苦しんでいる人たちが大勢います。
この勇気ある行動が、どうか世界に広がりますように願います。
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出典:Instagram/YouTube/Telegraph