認知症の母親を殺害した息子!しかしそこには裁判官も涙したつらい真実が隠されていた・・・

心中未遂、その真実

ninti1

2006年2月1日。

無職の片桐康晴被告が認知症である実の母を殺害し、無理心中を図ったとみられる事件の初公判。

事件の背景にあったのは、セーフティネットからの“脱落”です。

証言では母親の介護で生活苦になり、母と相談の上で殺害したとの事。

母を殺した後、自身も自殺を図ったそうですが、一命を取り留めたと言います。

被告は両親と3人暮らしでしたが、1995年に父親が他界。

その頃から母親の認知症の症状が出始め、長い介護生活が始まりました。

厳しい生活

2005年の春ごろから症状は悪化、食べ物の包装紙を食べたり「キツネがいるの!」と天井を叩いたり…。

また昼夜逆転し、深夜徘徊して警察に保護されることもしばしばあったそうです。

被告は、会社から休職をもらってデイケアなどを利用しましたが、介護負担は減らずにそのまま退職。

生活保護に頼ろうと3度も相談に訪れましたが、

失業給付金などを理由に生活保護をもらうことはできませんでした。

もらえる失業保険は月に10万円。

母親には1日2回の食事を与えていましたが、

被告本人は2日に1回しか食事をしていなかったほど厳しい生活を強いられていたようです。

生活保護の相談に訪れた時、

「働くことができるでしょう、ほかにもっと大変な人はいますよ」と言われたこともあるそうです。

ninti2

結局失業保険の給付も止まり、カードローンの借り出しにも首が回らず、

デイケア費やアパート代が払えなくなり2006年1月31日に心中を決意したそうです。

最後の親孝行?

被告は車椅子に母を乗せ、京都市内を観光。

そして事件が起きた早朝に、河川敷の遊歩道で母と最期の会話をします。

「もう生きられへん。ここで終わりやで」と被告が話すと、

「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と母は答えました。

被告が「すまん、すまんな」と謝ると母は 「こっちに来い」と呼び、

被告が母の額にくっつけると母は 「康晴はわしの子や、わしがやったる」と言ったそうです。

この言葉がきっかけで、被告は殺害を決意したと供述しています。

そして母の細い首を絞めて殺し、自分も包丁で首を切って自殺を図りました。

ninti3

裁判では、時折鼻をすする音が響いたそうです。

「母の命を奪ってしまったが、もう一度母の子に生まれたい」

目に涙を浮かべた東尾裁判官は言葉を詰まらせ、

刑務官も涙を堪えるようにまばたきをするなど、法廷は静まり返っていました。

判決

裁判官は被告に対し、このように述べました。

「尊い命を奪ったと言う結果は取り返しのつかない重大だが、

経緯や被害者の心情を思うと、社会で生活し、自力で更生するなかで冥福を祈らせる事が相当。

被告人を懲役2年6ヶ月に処する・・・」

ninti4

そしてこのように続けます。

「この裁判確定日からの日から3年間、その刑の執行を猶予する

被害者は被告人に感謝こそすれ、決して恨みなど抱いておらず、

今後は幸せな人生を歩んでいけることを望んでいるであろうと推測される」

このように判決を下しました。

また続けて、

「絶対に自分で自分をあやめる事のないようにお母さんのためにも、幸せに生きてほしい」

と話しました。

これに対し被告は「ありがとうございました」と深々と頭を下げたそうです。

今回の悲しい事件。 介護生活や生活保護の行政の在り方が問われる事件だったかと思います。

これからますます高齢化が進む社会。

決して他人事ではないと思います。

今は支援も増えてきたと言いますが生活保護受給等について、行政もさらに力を入れてほしいものですね。

出典:サプライズ

【関連記事】

認知症になった父がある日発した言葉に涙が止まらなかった娘は、天国の父へ手紙を送る・・・

介護の現場で働くスタッフが語った思いよ、届け!あなたは介護の仕事にどんなイメージを持っていますか?

内部障害を抱えているため、優先席に座ったら「立て」と言われた!事情を説明したが・・・

「障害者なんていなくなればいいと思った」相模原の障害施設での事件の犯人の動機に対する8歳児の正論すぎる言葉に心揺さぶられる!

この優遇はズルい?でも覚えておいてほしい!ディズニーで障害者の割り込みが当たり前な理由…

 

1 2