期待に胸を膨らませてアメリカへ留学した日本人高校生を待ち受けていた残酷な運命とは…?

残酷な運命

留学が始まってから2ヶ月半後の1992年10月17日、

剛丈さんはウェブさんと一緒にハロウィンパーティへ出かけました。

2人はパーティー会場へ向かいましたが、

勘違いをしてハロウィンの飾りつけをした普通の家の敷地に入ってしまいます。

そのことに気付いていない2人は、ベルを押しますが誰も出なかったので裏手に回りました。

(※ショッキングな場面も含まれているので、下記動画を閲覧する際はご注意ください)

そこで拳銃を持ったこの家の住人であるロドニー・ピアーズさんと出くわします。

その場で撃たれた剛丈さんは救急車で運ばれますが出血が酷く、搬送中に亡くなってしまいました。

動画の中に登場する合唱曲『世界中のYOSHI君のお母さんへ』は、この事件がもとになった曲なのです。

刑事裁判でピアーズ被告は正当防衛が認められて無罪となるも、

その後の民事訴訟では殺意があったと認められて日本円にして罰金7,000万円の支払いが命じられました。

銃のない社会

事件後に剛丈さんのご両親は、

「アメリカの家庭からの銃の撤去を求める誓願書」という署名活動を始めます。

日米合わせて1年で約195万人もの署名を集め、

1993年11月に当時のアメリカ大統領ビル・クリントンさんへ署名の一部を手渡しました。

そして服部夫妻がアメリカに滞在中、

販売店に購入希望者の前科の警察への照会を義務付けるころなどを取り決めた銃規制法

「ブレイディ法」が制定されました(現在は政権が変わったことで失効)。

そして服部夫妻は剛丈さんの傷害保険を元手に、「Yoshi基金」を設立しました。

設立には、このような想いで臨んだそうです。

「息子を射殺したアメリカを恨む中からは何も生まれない、むしろ銃のない日本社会をアメリカの若者に見て欲しい」

毎年アメリカ人高校生がこの基金を利用して、日本に留学しています。

銃が原因で命を落とす人たちが、いつかいなくなることを祈らずにはいられません。

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出典:YouTube

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